Full description not available
A**ー
自分で考え悩む楽しさ
日本語訳の純粋理性批判(篠田訳)にハマってしまい、英語の勉強ついでに英訳版読破を目指し購入しました。購入当初はなかなかの分厚さに読破をさっさと諦めてしまいましたが、英語の勉強法で最も脳に良いとされる「高速英書音読」を知り、一気に読破。意味の精読率は低いですが、日本語(母国語)版を理解していれば、精読する必要はないかなと思いました。だいたい1日1時間集中して150wpm(word per minutes)で1カ月で読破。内容を楽しんだというよりも、英語版の読破の達成感がハンパないです。個人的な感想を言えば、英語の文脈による抽象的な表現の意識の流れを感じることができて、読んでいて楽しかったです。ある命題の真を断言したかと思ったら、それの反命題の真までも同時に断言する、こういう人間理性の思考過程の英語版を体感できたかなという感覚です。(自分の普段の思考は日本語なので)自分で考えるという啓蒙活動はやはり日本語だろうが英語だろうが、楽しい!というところでしょうか笑
M**E
人間の叡智 ・ ・ ・ 認識の基礎および限界 についての批判的省察
Immanuel Kant の主著である、” Kritik der reinen Vernunft ” 「 純粋理性批判 」 の英訳版 ” Critique of Pure Reason ” である。この哲学史上の名著の英訳については、訳者である Marcus Weigelt が本書の intoroduction で詳説しているように 初訳から200年近い「歴史」がある。本書は Friedrich Max Müller ( ⇒ 歌曲「冬の旅」作詞者の子であり、サンスクリット仏典研究者。東大に仏教原典2万点を寄贈した学者としても知られる ) による訳出(1881年)をベースとし、過去のその他翻訳の内容検討と分析を踏まえた英訳となっており、現時点における英訳版としてもっとも定評ある書と評し得よう。又、Weigelt の解説は簡にして要を得ており、本文を読んだ後に「まとめ」として参照すると、読後の整理に格好の内容となっている。⇒ ある哲学青年が、最初の2ページでその難解さに額から脂汗を流し ついには「激しい嘔吐感」からギブ・アップしてしまった逸話や、「 Kant の英語における同音異義は・・・ 」、などといった、くだけた joke も交えながらの 楽しい解説文でもある。日本語訳 「純粋理性批判」 も数多く出版されているのであろうが、ヨーロッパ言語である英訳版が推奨されるとすれば、単に言語そのものの相対的な近さだけではなく、哲学思想及び翻訳の 長い歴史の蓄積が背景に在ってのことであろうと考える。本書は、腰を据えてゆっくりと拝読させて頂いたが、Kant の主張が、認識論においても、「至高の存在=神」の実在性(の否定)についても、出版当時としてはかなり 「 革新的 」 な内容であったろうと思うと同時に、行間に垣間見られる Kant の飾らない、正直で謙虚な、生真面目な語り口・人間性に限りない魅力を感じた。Kant は、本書で次のように述べている。" Metaphysics is divided into that of the speculative and that of the practical use of pure reason, either metaphysics of nature or metaphysics of morals. " ( Ibid, p.658 : B869 / A841 )そして、ややもすれば経験による験証から遊離した 独善に陥り易い 純粋理性に対する批判として、 Kant は、metaphysics of nature の要請から " speculative use of pure reason " については 「 経験の領域を超越し得ない 」 という厳しい制約を課す一方、「 至高の存在=神 」 の措定については 、metaphysics of morals の観点から " practical use of pure reason " の実践として 「 哲学は、人間の幸福のために存在する 」 と付言しつつ、謙虚に、しかし堂々と認容している(※)。この言明は、決して 「 キリスト教信者 」 の身勝手な我田引水と捉えるべきではない。個人の 自由意思に基づいた倫理観 ( morality ) の重要性といった、人間にとって普遍的な価値を説く Kant が、自ら選び取った、ひとつの結論 ( self-imposed value ) なのである。著作の背景には 著者という 「 人間 」 が存在している ・ ・ ・ 当たり前のことであるが、 改めて本書は Kant の思想に そしてその人間性の魅力に 惹きつけられる名著、との思いを新たにした。.( ※ ) 衆知の通り、Kant は神の存在について、" practical cognition " としては肯定し、" theoretical cognition " としては否定している( ex. ”Critique of the Power of Judgment” , 5:475 )。
ウ**ム
少し難しすぎます
私にはすこし難しすぎます。一日一頁しか読めません。それでもDoverの本より読みやすいです。
G**R
読みやすさと分かりやすさは別物です
哲学書は英文で読んだほうが理解しやすい、と小谷野敦さんがどこかに書いていたので、カントの分かりにくさに難渋していた私は、試しに読んでみることにした。しかし、期待していたほどではなかった(笑)。まあ、あれは学者という人種が案外日本語に対して無神経であることへの、やんわりとした皮肉もあるのでしょう。 私の頭脳の問題はとりあえず棚に上げて言えば、カントの理解のしがたさは、もともとのものだと思う。ゲーテもショーペンハウエルもカントの文章の下手さ加減に不平を言っている。また、もっと思想内容にかかわる部分から言えば、懐疑論に対する予防線、といった意味合いの考え方が予想以上に大きな比重を占めており、しかしそのことには彼の本を読んだだけでは気付きにくいので、いろいろ難しい解釈をしたくなるのだと思う。 文章とか思想内容とかではなく、私はもう一つカントの気質にも分かりにくさの要因があると思っている。彼の本を読むと、とにかくくどく、似たような主張があちこちに繰り返されており、精神的なぎごちなさを感じる。彼の考え方の中には、頑固で融通の利かない部分が確かにあり、それが読者をして彼に寄り添って進むことを困難にさせている、と思う。 英訳を読むと日本語ではなじみの薄い哲学用語が、案外見慣れた単語で表現されていたりして、また、文章のつながりも明快であり、全体として透明になっているとは感じる。しかし案外日本語訳(私は岩波文庫版と全集版、そして天野さんの個人全集版を持っている)のほうがカントの性格をとらえているような気がしないでもない。日本の学者が上手な日本語が書けないとしても、カントがまさにそういう学者であったのであり、その精神的な硬さも彼の哲学を考えるうえでは参考になるのではないか。
O**N
カントの著作で誤植とは
誤植がひどく返品しました。明らかな誤植が放置されているのは理解に苦しみます。特にカントの著作で誤植はないでしょう。
Trustpilot
1 week geleden
2 maanden geleden